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小川島訪問

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     以前書いたように、小川島レポートです。

    小川島へは呼子渡船場からでている小川島定期船「そよかぜ」で渡ります。(所要時間約20分)
























    船の内部は広く、畳の部屋やイスの席、また、デッキに上がっての座席もあります。
    20分と少々時間がかかりますが、回りの景色を見ていると、すぐに小川島へ到着。

    渡船を降り、 右手のほうにある「小川島漁協」へ。(右手といってもすこし距離があります)













    この日は小川初上陸だったので、漁協の方に案内をお願いしました。

    なんといっても小川といえば捕鯨で栄えた島。(今では宝凍イカ、小川島ひじきが有名です)
    捕鯨関連の建造物が残る所へ案内していただきました。

    湊を出発して、しばらくし、結構急かつ細い山道を登り、頂上へ。













    こちらは鯨の見張り小屋です。
    捕鯨はずいぶん昔に禁止されたので、結構劣化が激しかったですが、扉を開けてもらい、中へ。
    小屋一面に窓(といってもそこだけ木を抜いたような造り)があり、四方から鯨がいるかどうかの観察ができます。












    中には捕鯨のことがかいてある絵が残されていました。














    階段で下に降りてみると、「くじら公園」なる看板が。












    遊歩道や、ベンチがあり、それなりに整備されていますが、やはり訪れる人が少ないのか雑草が目立ちます。












    さらに下に降りていくと波切不動明王様が。
















    こちらは漁の安全を祈願する神様です。
    他にも観音様や小さな神社もありました。


    そして、次の場所へ。
    こちらは鯨鯢供養塔です。(左側)




































    (供養塔の近くにある捕鯨関係者のものと思われるお墓。島では鯨の墓との伝承もあるそうです)











    (供養塔の横の建物の中にある観音様)

    この供養塔は呼子に4基あり、小川島にあるものは雌鯨のお腹の中にいた子どもを供養するためのものです。
    こちらの供養塔、明治になり鯨解体のための納屋場がなくなるとともに、観音堂の裏に捨てられていたそうですが、不憫に思った住民の方が観音堂の横に祭るようにしたそうです。

    また、他の鯨鯢供養塔がある龍昌院というお寺は、子鯨を身ごもっていた雌鯨を捕鯨してしまったため、その霊を慰めるために、鯨1頭分相当の金額を充てて建てられています。

    鯨は捨てるところがない魚といわれているので、当時にすればとても莫大なお金だったのだと思います。
    また、それだけ捕鯨を大切に行ってきた歴史が伺いしれます。

    捕鯨の島、小川島。
    イカが有名な現代になっても、捕鯨の歴史がいたるところに残っていました。
    そして、現代にもそんな捕鯨の歴史の名残がありました。

    続きは次回に。

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